希望の灯り
久々の久々でよくわかりませんが更新です笑
今日はGWの真ん中かつ映画の日。
雨の中、二本の映画を見てきました。
まず一本。「希望の灯り」です。
東西ドイツ統一後の大型スーパーを舞台にしたお話。
携帯が出てくるけどスマホじゃないので今より大体10〜20年前くらいでしょうか。
パンフ買ったけどまだ見てない笑
ざっくりあらすじ始まり始まり〜
寡黙な青年クリスティアンがスーパーに入社し、仕事に戸惑いつつも気のいい同僚に囲まれ、恋にもおちるのですが、クリスティアン、同僚、恋のお相手には秘密があって…
というお話。
お話に派手さはなく、淡々と静かに優しく、けれど容赦なく話が展開します。
なので起伏の激しさではなく、こころに焦点を当てた物語と言えるのではないでしょうか。
見て感じたことをずらっと書いてみます。抽象的だから、何言ってんだ?となるかもしれませんけれど、コレを読んで本作に興味を持つ方がいらっしゃったら嬉しいな。
それではどうぞ!
とても静かなで無口なのにとても雄弁。
光、陰、しぐさ、そのほか全てが沢山のことを語っていた。
やさしさに浸って、少しずつ心がほぐれて、いつのまにか開かれていく。
だれもが人間で、美しい。
自分以外の誰かでないと縫えない傷を負うことがある。
だからひとはひとを求めるのかもしれない。
その傷が開くことも、あらたに負うこともある。
けれども灯りはどこかにある。
スーパーの灯り、街灯、車のランプ、アパートから洩れる灯り。
ひとの目に宿る灯り。
自分という存在が、大事な誰かの希望の灯りになれないこともある。それで傷つくこともある。
でもそれは真実だろうか。
最期のその時までそのひとを生かしたのは、自分という灯りだったかもしれない。
ひとの心はひとには決してわからない。
全てを明かすことなんてきっと誰にもできない。
嘘をつくこと、正直であること。
それは正解であり、不正解でもある。
そんな曖昧な世界に私たちは生きている。
ままならないことばかりのこの世界の中に生きる私たちは、もうきっと、生きているだけで充分なのだ。
前を向けなくても、俯いていても、震えながら世界に踏み出す私たちを、それでもいいのだと肯定してくれるような、そんな映画でした。
機会があれば、ぜひ。